こんこ作り
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今の僕の知る「手話の歴史」をまとめてみました。
これは、夏から3ヶ月ほど行われた町の手話講習会で、手話初級の僕が「蛙のコーナー」と銘打ってまかされたシリーズの最後に使ったものです。説明無しには訳の分からないものですが、結局時間が無くて、「ろう学校が重要」と喋っただけでした(^_^;)。
赤色で囲ったところは和歌山県のことです。
当日紹介した参考文献は以下の通り。
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きのくに縮刷版1(1990、和歌山県聴覚障害者協会)
財団法人全日本ろうあ連盟50年のあゆみ(1998、全日本ろうあ連盟出版局)
歴史の中のろうあ者(伊藤政雄、1998、近代出版)
ろう文化(現代思想編集部編、2000、青土社)
聾の経験(ハーラン・レイン編 石村多門訳、2000、東京電機大学出版局)
聾教育問題史(上野益雄、2001、日本図書センター)
手話の森を歩く(高田英一、2003、全日本ろうあ連盟出版局)
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最後の高田氏はどうでも良かったのですが、政治的配慮で書いておきました(^^ゞ。
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秋祭りには幟立ての他に、鎧を飾るのも地元役員の仕事です。鎧・・・何?という雰囲気ですが、半世紀前に子供だった僕は、少し覚えてますよ。その頃はまだ馬があったんです。馬があったって何?(^^ゞ。馬に乗った鎧武者が、氏子各在所から出て競ったんですよ。でも馬は戦後まもなく無くなったようで、記憶は朧。毎年在所では、馬宿というのに当たった家にこの鎧が飾られていたとか。宵宮の前日に「幣」というものをお宮さんからいただいてきて、鎧の前に飾っています。おそらく祭り当日に武者がこの「幣」を持ってお宮に向かったのでしょう。
今は、祭り当日も、鎧は在所に置いたままです。「幣」を宮へ持って行くのは各在所の宮総代。それでは宮総代の現在の服装はというと、これはやはり戦うサラリーマン姿のようですね。こういう形式が確立したと思われる江戸時代は、鍬より刀を持っていた方が格好良かったというのは想像に難くないでしょうし、今は噴霧器で化学物質を撒いているより、それを開発・販売している姿の方が見栄えがよいのは確かでしょう(^^ゞ。
写真で、鎧の前に飾ってあるのが「幣」。その「幣」料、我が白岩丹生神社では、ただ今二千円だそうです。(^^ゞ。
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蜜柑のハッサクは漢字で八朔。八朔・旧暦の八月朔日から食べられると言うことで、ハッサクと名付けられたようです。
今年、ハッサクを自由に採れる機会に恵まれたので、8月ごろから毎日かじってきました(^^ゞ。そろそろ美味しくなってきましたよ。
で、いつから食べられるかというと、その基準が必要です。僕は味よりも、食べやすさ・皮のむきやすさに注目しました。むきやすさをどう考えるかというのも問題です。僕の食べ方から、ハッサクがまず半分に割れるようになった日を食べられる日と決めました。
それでは今年はどうだったでしょうか?
その日は9月14日でした。写真はその記念すべきハッサク(^^)。今年の旧暦八朔は9月19日ということなので、なるほど~というところでしょうかね。
次は、いつまで食べられるかです(^o^)
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